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【投稿記事】何が日本のフェミニストをおとしめたのか?

パフスクール通信2月号「沢部さんのアメリカ取材報告会レポート」を読んで、
「日本Lばなし」の記念すべき第1話のゲスト、映画ライターのサチさんが
感想と意見を寄せてくださいましたので、ここに掲載します。

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パフスクール通信2月号で田中さんが報告された沢部ひとみさんのアメリカ取材報告会の記事を読んで、気になることがありました。それは、フェミニストが「男性に対し攻撃的な自己主張をする怖い女性論客」というイメージの定着という指摘部分で、とても残念に思いました。いつ頃どのようにしてそのようなイメージが広まっていったのか、私は海外生活が長いので的確には指摘できませんが、このネガティブ・イメージが生まれた背景に、マスコミがいることはある程度想像できます。

私は1970年代初期にウーマンリブの運動に参加し、優生保護法改悪反対運動や堕胎罪廃止運動などの活動をしていたのですが、当時のマスコミは私たちの真意を伝えるどころか、「ピンクヘルメットで黄色い悲鳴」「暴力ブス集団」「モテない女のひがみ」などと、運動の当初から私たちのイメージを大きく歪める報道をしてきました。
確かに初期の運動はラディカルで、現状への怒りを持って一撃を加える、という激しい側面があったと思います。労働運動婦人部とか母親運動しか存在しなかった1960年代後期の日本で、性の役割分担とセックスのあり方に声をあげた運動は、奇異に受け止められただろうことも理解できます。しかし、運動にダメージとなるようなレッテル付けをされたことの背景には、女を見下すマスコミの男中心主義が反映されていたことは否めません。
私がフェミニストに対するネガティブ・イメージに敏感になるのは、私自身が「ブス」「暴力集団」などという悪口雑言をたくさん浴びてきた経験があるからかもしれません。悪意のあるレッテルの背後には、いつも何かが意図されている気がしてならないのです。

私は1980年代初め頃から米国で暮らしているのですが、来た頃とても驚いたことがあります。それは、テレビで映画批評する男性二人が丁々発止とやり合う人気番組があって、二人がしばしば映画に登場する女性の扱われ方を「性差別的だ」と指摘していたことでした。米国ってすごいなあ、と初めて感心したことでした。
1960年代後半から1970年代にわたって全米に広まったフェミニズムは、こんな形で米国のテレビ番組にすら反映されているということに驚きました。その後も、メディアでフェミニズムやフェミニストを、攻撃的な自己主張をする怖い女というようにネガティブに紹介するということはなかったように思います。私がサンフランシスコという全米の中でも特にリベラルな街に住んでいたからかもしれませんが、自分はフェミニストであるということを誇りを持って発言するたくさんの女性と男性にも会ってきました。たぶん米国では(トランプ大統領に投票するような人たちを除いて)、フェミニストであると自認することは、自分は女性/人権と尊厳を守る側に立つということを意味しているのでしょう。男性の多くも、自分の母や妻、姉妹や娘たちが性で差別を受けることは絶対許せない、と感じていると思います。それが米国のフェミニズムの基本のように感じます。

正直なところ、どうして日本と米国はこんなにも違うのか? 日本の運動に何か問題があったのか? そんなふうに考えることも多々ありました。
まず、大きな違いとして気が付いたのは、米国の運動が持っていた圧倒的な資金力でした。サンフランシスコに初めて来た際に、ウィメンズ・ビルディングを見学して唖然。1970年代当時の私たちは、メンバーの半分が働いて他のメンバーを食べさせるというカツカツ状態で、収入の100%がエンゲル係数などとよく話していたものです。ビルを丸ごと所有する米国の運動との差は歴然と感じました。また、運動の広がりもハンパではなく、圧倒的なうねりとして全米を席巻したということも想像がつきました。しかし、なぜか釈然としない気持ちもありました。それは、運動自体もそれほど違っていたのか、という疑問です。

今回沢部さんの米国取材のテープ起こしをして、ニューヨークで活動していた女性の話を聞く機会を持ち、ちょっとだけ視界が開ける気がしました。
初期の女の運動は日本も米国も、内実は結構よく似ていたのではないか。同じように運動は始まり、運動は変化/進化/分化して似たような問題を抱え、似たような論争で互いに疲弊し、似たような理由で多くの人が運動から去っていった……。テープ起こしをしながら、まるで自分の体験をたどるような錯覚を持ったのです。精神性というか、運動のスピリットのようなものは共有していたな、と思えたのです。
では、何が違っていたか。確かに資金力や運動の広がりなどは決定的ですが、それにも増して運動が生きた環境が大きく違っていたのではないか。変化を、新しい考え方や生き方を受け止める社会のあり方が全然違っていた。そういうことだったのではないかと感じました。これはかなり悔しい認識でもありました。

サンフランシスコ市で同性婚が認められるようになって、私と当時のパートナーに「結婚しないの?」と真剣に聞いてきた人が何人もいましたが、そのすべてが異性愛者でした。夫婦で聞いてくる人、何年も音信不通だった大学の先生、サーファーなど。彼・彼女らが喜んでいることが素直に伝わってきて、米国はこういう人たちが作る社会でもあるのだということを実感を持って体験しました。
ここで私は米国が素晴らしい国、なんてことが言いたいのではないのです。この国の公民権=人権の運動は、フェミニストの運動が始まる前から人種問題を通して激しく戦われてきました。その歴史が米国を少しずつ変えてきたのだと思います。頑迷で暴力的な差別主義者が今でもいる一方で、変化を前向きに受け入れる人々も多くいたのだと思います。

昨年12月に世界経済フォーラムから発表された「ジェンダー・ギャップ指数」で、世界149カ国中日本は110位というニュースを知っている人も多いでしょう。先進国でも人権意識の高い国ではない、これが私たちが生きる日本という社会の現実です。どうりで「フェミニストは男性に対し攻撃的な自己主張をする怖い女」などという20世紀の遺物/亡霊がいまだにウロウロしているのではないでしょうか。フェミニストへのネガティブ・イメージを固定化し、イメージを下げ続けた結果が、女の地位世界第110位という情けないポジションに繋がった、私にはそう思えてなりません。「男性に対して協調的で自己主張をしない女」が好まれるから、こんな現実になってしまった、とも言えるかもしれません。

ジェンダー・ギャップ110位の日本という社会に対して、何ができるのか? 自分のできることから始める。まず、私は自分のことをレスビアン・フェミニストですと、誇りを持って自称しようと思います。そして、その立場からできること、私の場合は映画紹介を仕事としているので、フェミニストとしての自覚を持って作品を選び、紹介していきたいと思っています。小さなことですが、ものを書く私にとって大切な認識だと思っています。私たちの生きる環境は私たち自身で変えていくしかない。そんな認識もあって、フェミニストとしてあえてこの文章を書かせてもらいました。
(文責:サチ)
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